猪瀬前知事の辞職に伴う東京都知事選挙は9日に投票が行われ、無所属の新人で自民党東京都連と公明党東京都本部が推薦する元厚生労働大臣の舛添要一氏が、共産党と社民党が推薦する日本弁護士連合会の元会長の宇都宮健児氏、民主党、結いの党、生活の党が自主的に支援する元総理大臣の細川護熙氏、航空自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏らを抑えて、初めての当選を確実にしました。 <br /> <br />舛添氏は北九州市出身で65歳。 <br />東京大学の助教授などを経て、平成11年、母親を介護した経験から福祉の充実を図ろうと東京都知事選挙に立候補し、石原元知事に敗れました。 <br />平成13年に行われた参議院選挙では、当時の小泉総理大臣の改革を支持して自民党から比例代表の候補として立候補し、158万票余りを獲得して初当選しました。 <br />2回目の当選を果たしたあとの平成19年には、第1次安倍改造内閣で厚生労働大臣として初入閣し、続く福田内閣や麻生内閣でも厚生労働大臣を務め、いわゆる年金記録問題や新型インフルエンザへの対応にあたりました。 <br />自民党が政権を失ったあとの平成22年に党を離れ、新党改革を立ち上げて代表を務めましたが、党勢の拡大を図ることができず、去年夏の参議院選挙には立候補しませんでした。 <br />選挙戦で舛添氏は、災害に強い街づくりなどを進め、2020年の東京オリンピックとパラリンピックを史上最高の大会として成功させたいと訴えたほか、介護や福祉、子育てといった社会保障政策に力を入れることなどを強調しました。 <br />自民党東京都連と公明党東京都本部が推薦し、選挙戦中盤には両党の党首が舛添氏と共に街頭演説を行うなど、全面的に支援しました。 <br />また、民主党の支持団体である連合東京も舛添氏を支援しました。 <br />舛添氏は自民党や公明党の支持層のほか、特定の支持政党を持たない、いわゆる無党派層などからも一定の支持を集め、初めての当選を確実にしました。 <br />「ひたすら政策訴え続けたことが評価された」 <br /> <br />東京都知事選挙で初めての当選を確実にした舛添要一さんは、「どの候補よりも地域を回り、多くの有権者の皆さんと対話し、ひたすら政策を訴え続けたことが有権者の皆さんに評価されたと思う。東京を世界一の街にしたい。福祉、防災、経済、そしてなにより6年後の東京オリンピックを成功させたい」と述べました。 <br />また、舛添さんが選挙戦で最も強く訴えた社会保障政策については「出産や雇用、年金などあらゆる面に力を入れていきたい。特に待機児童は4年間でゼロにしたい」と述べました。 <br />さらに防災対策については、「木造住宅の密集地における火災対策を進めるとともに、都民みずからが身を守ることができるよう、防災教育にも力を入れていきたい」と述べました。 <br />一方、エネルギー政策については「原発事故の惨状は声も出ない。原発に依存する体制を少しずつ減らしていきたい。そのためには、太陽光発電などの再生可能エネルギーを増やしていきたい。電力の消費者として、東京都民として、できることを進めていきたい」と述べ、再生可能エネルギーの促進に意欲を示しました。 <br />「前回より手応え感じていただけに残念」 <br /> <br />宇都宮健児さんは午後8時10分すぎに東京・新宿区の選挙事務所で支持者にあいさつし、「前回の選挙よりも支援の広がりに手応えを感じていただけに、誠に残念だ。公開討論会の場が少なく、街頭演説だけではなかなか有権者に福祉などの政策の理解が広がらなかった。投票率が低いことも不利に働いたと思う」と話しています。 <br />「脱原発、争点とさせない力が働いた」 <br /> <br />細川護熙さんは午後8時半すぎから東京・千代田区で会見を開きました。 <br />細川さんは「出馬をしゅん巡したため準備期間が短かったことや、脱原発が争点とならず、争点とさせない力が働いたことなど、いくつかの要因によって残念な結果となった。日々、街頭で感じる熱気と結果の落差に努力不足を痛感しており、ご期待に沿えず誠に申し訳なく思っています」と話していました。 <br />また、細川氏を支援した小泉元総理大臣は、「残念な結果ですが細川さんの奮闘に敬意を表します。これからも『原発ゼロ』の国づくりを目指して、微力ですが努力を続けていきます。ご支援をいただいた皆様に、心より厚く御礼申し上げます」というコメントを発表しています。 <br />「一定の票、ネットでの支持あったから」 <br /> <br />田母神俊雄さんは「組織がないなかで一定の票が入ったことは成果があった。この成果はネットでの支持があったからだと思う。日本の利益を第一に考える『日本派』の政治家が集まらないと、日本を取り戻すことはできない。これを機会に保守の政党を誕生させるべく、政治運動を展開していきたい」と話していました。